書のエネルギーはフラメンコに通ずる

生誕100年 小林抱牛展

小林抱牛 虚

「虚」

独立書人展に去年初めて出展してから、小林抱牛先生のことをよく耳にし、作品も目にするようになった。笑顔の素敵な書家という好印象で、「得中」という書は、抱牛先生の顔とそっくりで、失礼ながら「かわいい」と思った。

絶対行きましょう!と言われて、現在習っている先生と一緒に「上野の森美術館」へ。

フラメンコのドゥエンデ

結論から言うと、「オレ〜!」の一言である。
死して尚、書に宿るエネルギーは半端なくすごかった。
フラメンコで言うところの「ドゥエンデ」ー説明は省きます
まだ1年ちょっとのひよっこ初心者なので、感じることしかできない。

わからない、読めないという観点を超えて、発するエネルギーがすごいのだ。
戦争体験の書は、ちょっと辛いというかキツイというか‥。

抱牛先生の人柄、性格、人となりが、書に凝縮されているように思えた。
絵画のようであり、書であり、読めなくても伝わってくる。
というか、わかるのだ。
淡墨、濃墨どちらも好きである。

小林抱牛 面

「面」

この後、宇都宮の個展へ向かうので、作品集を買うのを一瞬ためらったのだが買った。

出展で鍛えて、個展で表現する

ご存命中に、実際手ほどきを受けた私の先生は、上記のように仰った。
書展に出展することで、切磋琢磨される。
個展は、自分の追求したい書を表現する。
フラメンコと同じである。

人前で踊ることで鍛えられる。場数を踏む。
そして、自分の表現したい踊りを追求し、リサイタルやライブで表現していく。
自分も今までそうしてきた。
どの分野も同じである。
緩急、流れ、呼吸、強弱、その時にしか出せない一発勝負。
踊りは残らないが、書は残る。そこが違う。

出展することに躊躇はないから、出していく。
失敗は怖くないし、無くすものなどない。
初心者の特権である(笑)

大谷石の倉庫「石の蔵」

上野から新幹線で宇都宮まで。初めての宇都宮へ。
そこで、初個展を拝見。
ベテランの書家の先生方に圧倒され、1階の静かなスペースへ逃げて、ぼーっとひと息。
そして、先生お薦めのお店へ向かった。
倉庫を改造したレストランは、センスの良い静かな空間。
高い天井に、大谷石の壁と瓢箪のランプシェード、真鍮の箸置き(真鍮好き)等々。
もちろん、お料理と日本酒もとっても美味しかったのは、言うまでもない。
先生のチョイスは素晴らしい。

ハードな一日だったが、さほど疲れを感じていないのは、
ココロとカラダに、たっぷりのエネルギーと栄養を補給できたからだろう。

今後やりたいことが、少しづつまとまってきたように思う。