神田祭にオレ〜

オレ〜と言いたいけど、一本締め

神田明神宮入り

初めて「神田祭」に参加。5/11の宮入りは感動で、今もエネルギーがわくわく、スキップ、鼻歌状態が続いている。何だろう?この感覚?ここ数年感じてなかったこころの中の種火が、再燃したような感覚である。
祭り装束に身を包み、初めて尽くしのことだらけ。高校時代の「両高祭」を思い出す。高校時代は、両高祭と共にあったと言っても過言ではない。受験校であるにも関わらず、楽しくて仕方なかったのは、「両高祭」というお祭りがあったからである。詳しくは私の著書「フラメンコ女 大地に立つ」に書き記しているので、ご興味のある方はお読み頂けたら幸いです。

しかし、まさか、神田祭に参加することになるなんて微塵も思ってなかったので、天は面白い展開を用意してくれている。

氏神様が神田明神

神田猿楽町神輿

去年の春から通い始めた書道は、鎌倉の先生だった。とても良い先生でしたが、距離が遠すぎて負担になり、今年の春に神田の古都先生のところへ移ったばかりだった。数回目のレッスンで「神田祭」のお誘いがあり、「行きます」と即答。神田なので当然神田明神が氏神様だわと、後から氣がついた。日程も宮入りのみ空いていた。
町会の仕事で忙しい先生のざっくりな説明に、はいは〜いと気軽に参加したのだが、提灯持つ人、お囃子、和太鼓、そしてすごい数の神輿に沢山の人々。おおお〜とテンションが上がる。列をなして神輿のそばを練り歩き、神輿もちょっと担いだ。というより、肩に届かずぶら下がってただけ(笑)

掛け声と手拍子はフラメンコと同じ

やっぱりフラメンコと似ている。種類は違えど同じじゃないか。
祭装束はかっこいいし、粋である。シンプルな衣装が好きなのは、祭好きからきているのか?フラメンコ衣装はフリルがたくさんあったりするのが主流だが、私は、実はシンプル好きである。チキージャフラメンカさんから、「フラメンコなのでシンプルすぎるのはダメです」と言われて、彼女に丸投げして衣装を担当してもらっていた。
フリフリ好きじゃないのは、祭り好きだから?まぁ、顔も日本人顔の能面に似ている。そうそう、私の師匠ラウールに「顔が能面のようだ」と言われたのを思い出した。フラメンコ女なのにと、その時はちょっとショックだったが、これは褒め言葉だったようである。

神輿宮入りと一本締め

神田明神宮入り鳥居

神輿が鳥居をくぐる瞬間は感動である。おおお〜と思わず声が出る。(勉強不足故、専門用語がわかってないので、失言があるかと思うがご容赦を)
とにかく言葉では言い表せない。こころが喜ぶ瞬間がそこにある。祭りの威力はそこなのではないだろうか?パワースポット参拝も好きだが、祭りのエネルギーには到底及ばない。人ごみが苦手なくせに、祭りの人ごみは大丈夫なのか?それは集まった人達のエネルギーが違うからだろう。
何度も一本締めがあるのだが、これがとっても心地よい。一本締めする度に、気持ちが切り替わってあがっていく。こころが晴れやかになっていく感じ。もう笑顔しかない。

祭りとフラメンコ

お囃子

祈る、祀る、踊る、歌う、手拍子、掛け声、神輿の揺らぎ、和太鼓。
和太鼓は大好きである。フラメンコのサパテアード(足を打ち鳴らす)と通じるものがある。そして、神輿が上下左右に揺れるのがいい。何でいいのかわからないが、この揺らぎがいい。蝋燭の炎のような揺らぎ。

和太鼓

感謝のオレ〜と一本締め

提灯

こころの種火が感謝につながっていく。包まれた暖かさがある。自然と感謝の気持ちが湧いてくる。
日本に生まれて、日本人で良かったと思う。ご先祖様への感謝が湧いてくる。
自分はどこから来て、何をしに、ここにいるのか?生きてる限り命を使い切りたいと思った。
今までやりたいことをやってきた。やりたいことを見つけられたことは幸せである。
しかし、今までやってきたことをどのように整理して集大成していこうかと、好奇心の赴くまま新しい扉を開けている今、「神田祭」は素敵な刺激をくれたように思う。
神田祭に誘ってくださった古都先生に感謝である。とっても良い経験をさせて頂き、自分の種火に点火することができた。しゃしゃしゃんしゃん!一本締めさせて頂きます。(拍子木も大好き)

追伸:
自称晴れ女は健在で、おでこの日焼けは赤いボーダーのヘアバンド状態。結構目立って困っている(苦笑)